ふと、本棚にあったドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書~なぜ学び、なにを学ぶのか~を手にとった。
この本は、大学時代に、本屋でジャケ買い。いや、ジャケット(正確には表紙だが)というよりも、大西泰斗という文字に惹かれて購入したという方が正しい。
僕は、この先生のことを、以前、NHKで放送されていた「ハートで感じる英会話」という番組を見て知ったのだが、この番組がとても面白かった。今までの英語教養番組とは違うネイティブの感覚に迫っていく、文字通り生きた英語を目の当たりにして、かなりの衝撃を受けた。実際、かなり好評だったようで、頻繁に再放送されていたことを覚えている。(再放送も食い入るように見ていた記憶がある)



そんなわけで、まるっきり崇拝に近いわけだが、「英語勉強したいなあ」とごく自然に思ったのは、大西先生の番組があったからこそかもしれない。(とはいえ、その気持ちと今の英語力は必ずしも比例していないが…)

さて、ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書~なぜ学び、なにを学ぶのか~という本。この本は、大西先生だけでなく、他科目のスペシャリストともいえる先生方が総勢6人集まり、それぞれが、「なぜ学び、なにを学ぶのか」をテーマに熱い持論を展開している。この記事では、その中から、理科教師として参加している竹内薫先生の言葉をお借りしたいと思う。

『よく独創的な発想を持った人のことを「型破り」といいますよね。
ところが、ほんとうの意味での型破りになるためには、まずは「型」を身につける必要があるんです。
たとえば、ピカソだって、最初はものすごく繊細で写実的なデッサンからスタートしている。これは「型」ですよね。そしてそうやって築き上げてきた型を破ることで、キュビスムにたどり着き『ゲルニカ』や『泣く女』といった名作が生まれる。
柔道の選手だって、最初は「型」を覚える。それである程度は強くなっていくんだけど、世界選手権に出るような選手は、ある段階で「型」を崩すんですよ。型通りにやっていたら、相手にも簡単に見破られるわけですからね。だからオリンピック級の選手はそれぞれの個性を持っている。「型」を破っていったわけです。
このような感じで、世の中のすべては「型」の形成と、「型破り」という突破によって成長していくものなんですね。そして、何よりも「型」と「型破り」が求められる分野こそ、科学なんです。』
(第22刷P139-P140より引用)

この言葉を見て、ふと麻雀のことが頭をよぎった。
麻雀というのは、長い間、「型」が無いもののように扱われてきた。ここでは、セオリーというべきだろうか。 あるいは、「オカルト」という型に収めていたと考えることも出来る。僕自身は、昭和ぎりぎり生まれで、オカルト麻雀全盛期を生きたわけではないが、麻雀を覚えた頃は、偶然見つけたモンド21の麻雀対局ばかり見ていたので、ツキやら流れやらを型だと盲目的に信じていた時期はある。
しかしながら、その頃にはすでに、とつげき東北さんが差示したデータを参考に、ネット上では、新たな型(正確に言えば、その型に気づいてたものもいるので、本当に新しいわけではない)を持つ人々がが続々と勢力を高めていた。あえて呼称するなら、デジタル。そう呼ばれる型であった。
そして、現在、「強くなりたい」と願う麻雀打ちの多くは、この新たな型をベースに麻雀を打っている。かくいう自分もその一人だ。そして、その新たな型の指南書となるのが、科学する麻雀(今から読むなら、おしえて!科学する麻雀の方がより指南書という形をとっているこちらをおすすめする)であり、この本は、新たな型を覚えるには、最も適した本であるといえる。なぜなら、集計したデータを、あくまでその観点からのみで評価しているからだ。
後に、科学する麻雀に準ずるような内容である小倉孝プロの最強デジタル麻雀が登場するが、この本で、新たな型を覚えようとすると、せっかく型を覚えたとしても、その型に傷が付いている可能性が出てくる。なぜなら、この本は、「型破り」だからであり、つまり、「デジタル」という「型」を小倉孝が「破り」、新たに「小倉孝」という「型」を形成しているからだ。それは、ピカソが、ものすごく繊細で写実的なデッサンからキュビスムにたどり着く、あるいは、柔道の選手が、自分の型を破り、個性を持つ。それらと全く一緒なのだ。
現在、増刷が決まり、好評販売中である麻雀テクニックも同様であるといえる。最強デジタル麻雀とは違い、科学する麻雀が示した「型」に忠実である一方、ところどころで福地流の型破りが見られるし、あるいは、高レート雀荘で見かけた型破りをしている若者についての話を見ることも出来る。
ネット麻雀の上位者も、型を守る一方で、型を破って、新たな型を形成している。不可思議な鳴きや、恐ろしい全ツ、ガンジー並のベタオリや卓外での煽り(これは違うか)、明らかに型から外れているようなのに、好成績を残している。それは、その型が、万人の方ではなく、その人だけの特別な型になっているからだ。
僕も含め、下位者はそれに憧れ、その特別な型を真似したくなってしまう。しかし、どうだろう、それで勝利を重ねることが出来ているだろうか。恐らく、その答えは、NOであろう。必要以上の形聴に憧れて、形聴全ツしたり、自分ですらどうなるかわからない鳴きを駆使したり。そんなことをやっているうちは、強くなった気になるが、残った成績を見て、現実を痛感し、しかしながら、「どうして上位者と同じ事をやっているのに負けるんだ」と苛立ちがつのってしまう。
先月、僕は、四段に降段した。ずっと、打たない期間があったとはいえ、1年近く、六段にいて、五段に落ちたのが、去年のいつだっただろうか。この間、ずっとこんな問答を繰り返していたような気がする。ブログを振り返ると、同じようなことを言っている記事がいくつもあり、笑ってしまう。
今は、麻雀(というか天鳳)にそこまで情熱を注いでいないので、降段以降、ほとんど打っていない。一方で、昨晩は、雀龍門を3時間くらい熱心に打って、二段から四段に昇段した。経験値システム的にも面子的にも、天鳳よりは上がりやすいが。
それがどうしたと言われると、困ってしまうが、僕は、型を破ることを放棄したのかもしれない。また、雀龍門であれば、型を破らなくても、ある程度勝つことは出来るということも関係しているかもしれない。麻雀で強くなりたいが、究極的に強くなりたいわけでもない。こんなこと公で言うことではないのだろうが、そういう人達は、世の中にいるだろうし、自分もその一員になったと考えるのが自然なのだろう。麻雀に情熱を注いでいた1年目2年目の僕には考えられないな。
でも、やっぱり麻雀は、好きで、今もこうやって、麻雀のことについて、熱く語ってるし、Twitterでも麻雀ネタをつぶやいたりするし、麻雀のブログやニュースはチェックするし、そういう部分での情熱は、まだまだあると思う。
日がな半日麻雀とはいかないだろうけど、麻雀との距離感は今の状態が自分にきっと合ってるのだろう。例えな、水曜どうでしょうが、いつまでも放送を続けられるように、レギュラー放送を終えたように。(ちなみに北海道では、そろそろ2周目の再放送が終わり、3周目の再放送が始まるのも時間の問題ですw)

__________________________________

 人気ブログランキングへ ←長文乙

この記事について


このエントリーをはてなブックマークに追加


『大西泰斗-日本の言語学者。東洋学園大学人文学部教授。文学修士(筑波大学)。 埼玉県出身。1984年筑波大学第一学群人文学類卒業。筑波大学大学院文芸言語研究科博士課程単位取得退学。1996年にオックスフォード大学に客員研究員として招かれる。東洋女子短期大学欧米文化学科助教授、同教授を経て現職。専門は英語学(主に形式意味論)で、現在の研究分野は「認知に基づく文法体系」。 英文法や英会話に関する書物を多数執筆している。 ポール・クリス・マクベイ(Paul Chris McVay)とともに『ネィティブスピーカーシリーズ』などを出版している。』 (wikipediaより引用)

『竹内 薫-日本のサイエンスライター、作家。東京都出身。横浜市在住。オフィス・トゥー・ワン所属。湯川薫名義で小説も執筆している。 』(wikipediaより引用)


これより先はプライベートモードに設定されています。閲覧するには許可ユーザーでログインが必要です。