「荒らしはスルー」

ネット(主にチャットやブログのコメントなど)を使うものならば、いつかこの言葉を覚える。「荒らし」は反応を面白がる傾向にあるから、反応しなければいいという考え方だ。

確かに、この考え方なら、荒らしは「つまんね」となり、どっかに消え去るだろう。しかし、全員が全員荒らしをスルーできるだろうか。否、不可能である。

今は、一家に一台PCの時代。仮に家に無くても、学校にいけば当然のように使える。そうなれば、あまりネットの世界に慣れていない、いわゆるネット新参者がこのような荒らしに反応してしまうのは、ごく自然なことである。もちろん逆に、ネットリテラシーがなければ、彼らが荒らしになる可能性もある。

「荒らしはスルー」自体は、これ以上動画を荒らさないという点では正しい選択だ。しかし、私自身は、「荒らしはスルー」という言葉はくだらないものだと思っている。それはなにもかっこよくない。自慢できることでもない。むしろ悲しいことだ。

とあるアップロード者削除された動画でこんなコメントを見たことがある。

「煽りとかの荒らしに耐えられないなら、動画あげんな」

このコメントからは、「荒らしは当たり前」というニュアンスが読み取れる。だがそれは、おかしくないだろうか。確かに、ネット上では、荒らしなんて日常茶飯事だが、「荒らしは当たり前」にイコールとはならない。荒らしは明らかに「間違い」なのだから。

心無いコメントのせいで、苦労して作り上げたものが、日の目を見なくなる。そんなことはあってはならない。